「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」黙示録21:3~4
静は度々フライデーナイトで奉仕をしているのですが、そのコンサート中、フライデーナイト代表である関根一夫先生のHPのショートメッセージを引用しながら、「人生でつらいことがあっても、最後に天国で神様が迎えてくれる。天国という帰る場所があるっていいですね」なんてことを申しておりました。
我妻ながら、中々いいことを言うなと(…って、関根先生のメッセージからきているのですが)、感心しながら聞いていたのですが、ふと気づかされました。
「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」
天国にはまったく涙がないのではなく、拭う「涙」があるんですね。なんとなく後半の「もはや死もなく…」につられて、「涙」もないかのように受け止めていました。
私たちの人生は山あり、谷あり。クリスチャンになってもそうです。時には悲しみのうちに涙に明け暮れる時もあります。それは私みたいな若造よりも、人生の先輩方のほうが何よりご存知かと思います。
しかし、この世の人生を終え、天の御国に行く時、その涙を神自らが拭ってくださる…。
皆さんは、今までどんな涙を流してきたでしょうか…。
私たちが今までに流した涙、これから流すであろう涙…、その苦しみや悲しみが、ただ辛かっただけ、誰にも受けとめられず忘れ去られてしまうのではなく、その労が労わられる時が訪れるのです。