イエスキリストにある希望を届けるホーリーホーププロジェクト
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。 ローマ 15:13
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 ■コラム
日々の生活の中で、心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく、書き綴ってみます。
個人的なたわ言や、聖書からのショートメッセージなどなどです。

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2005年8月15日(月)
平和はやって来るものではなく、作るもの

 「旅行とは、平和産業。平和を祈っていきたい…」
 今日、会社の朝礼でスタッフの一人が、そんなことを語っていました。

 確かに、旅行と言うものは、平和であればこそ、出かけることもできるし、訪れることもできます。日本にいると、つい「平和」が当たり前のよう思ってしまいがちですが、きわめて貴いものだと思います。

 戦後60年、戦争の悲しみや苦しみを知っている方々が減って行く一方で、ニューヨークの9・11テロ以降、テロとの戦い、世界平和への貢献、日本もイラクへの自衛隊派遣と、戦争に対する抵抗感も薄らいできていることもあるような気がします。

 私たちは、戦いに勝利することが平和への道であるかのように考えがちなのかもしれません。そして、やがて戦いが終わる日を待ち続けるのです。
 しかし、平和と言うものは、武力によって勝ち取るものでも、向こうからやって来るものでもありません。目には目を…でお互いに撃ち続ける限り、憎しみや報復の連鎖は止まることはないのです。

 キリスト教の歴史の中でも、数々の戦争を巻き起こしてきた事実があります。「神」の名の下に正当化された戦いは幾たびも繰り返されてきました。今もなお、そうなのかもしれません。
 しかし、十字架を背負ったイエス・キリストの本当の願いは、私たちが武力を持って戦うことなのか…というと、かなり疑問です。

 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 」マタイ 5:9 

 十字架を背負ったイエス・キリストの姿は、周りからすれば敗北の極みでしょう。しかし、決してただ言いなりになって、十字架を背負ったわけではありません。
 人の罪を赦すために十字架を背負う…言葉にしてしまえば簡単ですが、その痛みと苦しみに絶え続けなければならない、それはまさに熾烈な戦いの姿です。
 キリストがこの戦いに勝利してくれたからこそ、神の平和がもたらされたのです。

 武力を捨て、自らが十字架を背負う…。
 常識はずれと言えば、常識はずれ。それは時に耐え難い苦痛も伴う、大変勇気のいる戦い方です。私たちは、そこまでの勇気を、なかなか持てないのです。
 しかし、この戦い=十字架にこそ、「平和を作る者」が、「神の子」と呼ばれる所以があるように思うのです。

 「平和というものは、当たり前のように存在してるものでも、どこかからやってくるものでもなく、作るものなんだ。」
 ニューヨークのクリスチャン画家マコト・フジムラ氏の言葉です。

 私たちの日常の間でも、小さな争いごとは起こってくるものです。
 武力は使わないまでも、なかなか赦せなかったり、耐えがたいこともあったりするものです。
 しかし、くしくも日本も、自らの敗北を認め、武力を捨てることができたとき時から、60年間という平和の時が始まりました。
 私たちも、「平和を作る」勇気を失わずにいたいものです。「平和を作る者」は、「幸い」なのですから。

 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 」マタイ 5:9 
 

2005年6月6日(月)
本当に大切なもの

 教会のカルト化問題をとりあげていますが、話の展開上、この手の話は、問題点やおかしな点に疑問を投げかけては、アンチテーゼ(福音)を打ち立てていくことになるわけで、あまりそういう話ばかりを続けていると、いろんな面において、なんだか否定的、批判的な思考に偏っていってしまうように思うのです。

 そんなわけで、書く者も、読む皆さんも、ちょっと一休みしましょう。
 本当のところは、ただ単純にイエス・キリストの愛や恵みや素晴らしさを一緒に味わい、一緒に喜べれば、それでいいんですよね。

 時に、私にもいろいろとやりたいことは、いっぱいあるわけですが、特に最近、自分自身のメッセージ活動のために、もっと時間を使えたらな…と思います。
 でも、どうしても今は働きながらの活動なので、何かできるとすれば、ほとんど土日です。
 神学校とまではいかないまでも、また少し集中して聖書や神学を勉強する時を持ちたいと思う時もあります。

このサイトだけでも、まだまだやりたいこと、できることは、いっぱいあって、
気づいてみれば、自分の召命の証もないし、
参考図書は便利なように、オンラインで購入できるようにリンクできればいいし、
サイトの作り方でも、見やすいように手直ししたい部分もあるし、
もっとインターネットを活用して、クリスチャンのネットワークを広げていければとも思います。

 でも、だからといって、今の仕事が嫌かというとそういうわけでもありません。
 働きながらの活動も決して悪いことばかりではなく、仕事の中でいろいろな人たちと出会い、様々な経験もすることで、より実際的なメッセージを伝える事ができたりします。
こういったホームページの作成も、今の会社で教えてもらったことですので、決して無駄ではないのです。
最近は、会社のホームページで、聖地のコラムも書き始めました。
これもいつかは、まとめてみたいと思いながらできずにいたのですが、給料もらいながら仕事としてできるので、時間の余裕ができた合間合間に、楽しみながら作っています。

将来、いつかイスラエルなどの聖地の写真を本格的に撮って、写真集なりが作れたらいいかな…なんて、これは、まあ夢みたいなものですね。

 そんなわけで数多くのやりたいことはあるわけですが、一方で、いろんなことに追われてしまうと、「本当にやりたいこと」、「本当に大切なもの」を見失ってしまうことがあるような気がします。

 みなさんにとって、「本当に大切なもの」って、なんでしょう…。

 クリスチャン的模範解答で言えば「イエス・キリスト」ってことになるのですが、イエス・キリストを大切にするということは、イエス・キリストの愛された隣人を大切にするということでもあるのです。

 隣人の範囲は限定すべきではないのですが、そうは言っても、まず一番の隣人といえば、伴侶であり、家族であり、友と呼べる存在だと思います。 
 この人たちを犠牲にしてまで、やりたいことって何でしょうね…。何をするにしても、この人たちの支えや助けや理解があっての、私という存在でもあるのです。

 じゃあ、うちの奥さんのことをどれだけ大切にできているかというと、それはちょっと疑問だったりするわけですが…(^^ゞ  静、ごめん!
 
 でも、本当に大切なもの…、まずは大切にしていきたいですよね♪

 なかなか、そうはいっても出来なていなかったりもするわけですが、その本当に大切な人たちにとって、本当に大切なことを、もし本当にできたとしたなら、それは本当に幸せなことではないかと思うのです。


 愛する者たち…。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。
 もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。  Tヨハネ 4:11〜12








特集【特集カルト問題】
教会で起きる
マインドコントロール

(1) はじめに
(2) カルト教団に通った経験から
(3) マインド・コントロールって…? 
(4) マインド・コントロールの手法
(5) 間違いだらけの聖書解釈「間違っていても、権威に従うべき?」
(6) 番外編 「聖神中央教会」事件を考える
(7) 間違いだらけの聖書解釈「ことさらに罪を犯せば、地獄に行く??」
(8) 間違いだらけの聖書解釈
「疑うことは不信仰???」


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