|
|
|
| 6月 4日の礼拝 |
ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝。前日、加須から来られた藤崎信先生と夏野さんが、洗礼式の最後の打ち合わせをした。
日曜の朝は爽やかな快晴。山本兄の奥さんがガンとの聞いの中でお世話になった近藤先生(心理療法士)が初参加。芹澤姉も元日以来。礼拝出席49名(うち子供7名)。
この日、礼拝の中ではっきりと信仰告白をし、洗礼を受けた夏野さんの19歳の決断に主の祝福を心より祈ります。
昼食後、受洗した夏野姉と6月誕生者の芹澤姉(4日)、一枝姉(19日)、熊田姉(29日)の4人がお祝いされた。
当日の藤崎信牧師の説教要旨は、以下の通り。
●「主よ、聖霊を送りたまえ」(エペソ5章21〜33節)●
聖霊の働きを受けてエペソ教会は生まれてきた。私たちの聖望キリスト教会もそうである。その意味で、ペンテコステ(聖霊降臨日)が、すべての教会の“創立記念日”なのである。
まず、「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」と。従うとは「仕える」ことである。「仕える」とは、イエス・キリストのお立場で、その全生涯を表わす言葉といってよい。仕えることで、主イエスは神様の栄光を現わし続けた。だから、仕えることは卑しい仕事ではなく人生最良の業(わざ)である。
「仕える」ということは、相手の下に立つこと。イエス・キリストが自ら模範を示してくれたように、私たち(妻と夫、親と子、主人と使用人など)もまた、互いに仕え合うことによって「救いを成就していく」べきである。それによって私たちは、初めてキリストの体の一部となり、枝となるのである。
●CS(教会学校)の献金で恵まれない子をサポート!●
子供たちの献金が目に見える形で用いられるように、「ワールド・ビジョン・カナダ」を通してチャイルド・スポンサーになります(日本だと月々4、500円ですが、カナダだと月3、000円で支援が可能です)。
|
| 5月28日の礼拝 |
福沢満雄先生がご長女・路得子さんのご主人であるぺドウ・マーク兄弟(神学校で地中)を連れてこられた。先生の説教の前に、兄弟が救いの証しを日本語で語った。出席者42名(うち子供8名)。
●「父の約束」(使徒の働き1章3〜11節)●
12人の弟子たちは、先生であるイエス様から復活のメッセージをすでに何回か聞いていた。しかし、「そんなことありえない」という思いが強く、到底信じられなかったのである。
イエス自身も、弟子たちが真の力を持っていないことを知っていた。事実、最高の師であるイエス様と3年間も寝食を共にしながら、十字架の時、彼らは先生を裏切ったのだ。
彼らに欠けていたのは「聖霊のカ」であった。この「力」(ディナモス。ダイナマイトの語源)とは、「愛の力」である。それは、破壊するのではなく、あらゆるものを溶かしてくれるのである。父が約束してくれた、この「もう一人の助け主」であるイエスの聖霊を受けた時、彼らは初めて“主の愛”を語ることが出来たのだ。
|
| 5月21日の礼拝 |
ビデオ「使徒の働き」を見ながらの、小林武夫兄弟の奨励は、以下の通り。
○「ステパノの殉教」(使徒の働き7章1〜60節)○
モーセと神とをけがしたとして、民衆と長老・律法学者たちに議会に引き出されたステパノは、まずアブラハムが神に忠実に従ったその信仰をとりあげ、“栄光の神”は人が定めた場所や儀式に縛られないお方であることを語った。
次に、ステパノは、解放者として神が立てられたモーセについても語る。「あなたがたの先祖たちは、モーセのいない留守に偶像の子牛を作り、それを神として彼を拒絶した。」
「あなたがたは、この先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっている。」「あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことがない」と糾弾した。
それを聞いて怒った人々は、ステパノを町の外に追い出して右打ちにした。しかし、ステパノは人々に怒りを燃やすのではなく、聖霊に満たされて主を呼んで、言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください」(59節)。そして、ひざまずいて、大声で「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」(60節)と叫び、眠りについた。サウロもその場所にいた。
|
| 5月14日 母の日礼拝 |
○藤崎一枝姉 「母という尊称−神から贈られた祝福」(ヨハネ19:25〜27,詩篇71:18〜19)○
母を8歳で天に送ったので、その思い出は少ないのだが、兄たちの話で母に対する想像が膨らんでいった。しかし、私にとって本当の母の姿は、イエスの母マリヤかなと思う。
マリヤもヨセフも、突然の受胎告知に悩んだに違いない。しかし結局、二人は素直に信じたのである。特に、マリヤは神様との対話によって服従と耐えることを学んだのである。
神は私たちを「大地の母」「教会の母」「社会の母」と呼んで下さる。母とは“最高の栄誉”であると気づいた。特に、子育ての仕事位楽しい仕事はない。互いに教えつつ、教えられていく。「母の日」に改めて、神様と子供たちにお礼を言いたい。
|
| ****更新がストップしていました。ご容赦ください**** |
4月23日 ウォーレン志保子姉妹
聖書 ヨハネの黙示録2章1〜7節
奨励 私たちに与えられた「いのちの木」
4月30日 証詞礼拝(第30回目)
愛する娘と孫を夫の伝道地・鹿児島に送り出した幸正兄弟と、夫の退職後夫について世界各地を旅する神保姉妹のお二人が、それぞれに主から頂いた恵みを語ります。
5月 7日 藤崎信師
|
| 4月16日 イースター礼拝 |
2006年のイースター礼拝。前日、沖縄から来られた宮村武夫先生が令実さんに洗礼式の心構えを語り、イースターの朝を迎えた。心配された雨も上がった。初めて参加された石川姉や岩崎さんの知人(男性)をはじめ、山本兄も車椅子に乗って到着。礼拝出席計52名(うち子供8名)。
この日、礼拝の中で宮村牧師より洗礼を受けた令実姉妹の顔には、喜びと安堵が満ちていた。幼い頃からの主イエスへの思いと願いが叶って、本当におめでとうございます! そのあと、引き続き行なわれた聖餐式も、また恵みでした。
午後のお祝い後の「学びの会」は、エペソ4章15〜16節より「成長し、愛のうちに建てられも」と。これは、家庭を築く上にも、信仰生活にも、会堂建設にも最も大切なことである。
●「キリストは初穂−からだのよみがえりを信ず−」(Tコリント15:20〜28)宮村武夫師
「初穂」とは、最初の一部をもって全体を現わす。例えば、主日と週日との関係。「主日」は私たちにとって、月曜から土曜へと続く恵みの初穂である。主日礼拝を守っていれば、その他の過日の生活が整えられるのは当たり前なのである。
また、「献金」と「全収入」との関係も同様である。全収入はすべて神様のもの。私たちはその管理を委されているだけ。
そして、何よりもキリスト・イエスと私たちの関係がそうである。初穂であるキリストの復活の事実。これこそが私たちに希望を与え、私たちの信仰を不動のものとする。この確かな、驚くべき「からだのよみがえり」の約束の上に立って、「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。その労苦は主にあってむだでない」(15:58)とパウロは力強く語るのである。
|
| 4月16日 イースター礼拝 |
2006年のイースター礼拝。前日、沖縄から来られた宮村武夫先生が令実さんに洗礼式の心構えを語り、イースターの朝を迎えた。心配された雨も上がった。初めて参加された石川姉や岩崎さんの知人(男性)をはじめ、山本兄も車椅子に乗って到着。礼拝出席計52名(うち子供8名)。
この日、礼拝の中で宮村牧師より洗礼を受けた令実姉妹の顔には、喜びと安堵が満ちていた。幼い頃からの主イエスへの思いと願いが叶って、本当におめでとうございます! そのあと、引き続き行なわれた聖餐式も、また恵みでした。
午後のお祝い後の「学びの会」は、エペソ4章15〜16節より「成長し、愛のうちに建てられも」と。これは、家庭を築く上にも、信仰生活にも、会堂建設にも最も大切なことである。
●「キリストは初穂−からだのよみがえりを信ず−」(Tコリント15:20〜28)宮村武夫師
「初穂」とは、最初の一部をもって全体を現わす。例えば、主日と週日との関係。「主日」は私たちにとって、月曜から土曜へと続く恵みの初穂である。主日礼拝を守っていれば、その他の過日の生活が整えられるのは当たり前なのである。
また、「献金」と「全収入」との関係も同様である。全収入はすべて神様のもの。私たちはその管理を委されているだけ。
そして、何よりもキリスト・イエスと私たちの関係がそうである。初穂であるキリストの復活の事実。これこそが私たちに希望を与え、私たちの信仰を不動のものとする。この確かな、驚くべき「からだのよみがえり」の約束の上に立って、「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。その労苦は主にあってむだでない」(15:58)とパウロは力強く語るのである。
|
| 4月9日の礼拝 <受難週> |
「受難週」に入った「しゅろの主日」。主イエスの「受難日」(「聖金曜日」ホーリー・フライデー)を前にして、改めて、“十字架が与える意味”について、つまり「あなたにとって十字架とは何か?」を問いかけられた(当日の奨励者は大竹堅固兄弟)。礼拝出席者計43名(うち子供9名)。
●「十字架の意味−私にとって十字架とは−」(マルコの福音書15章1〜39節)】
まず第一に、十字架が与える意味は「罪」です。イエス・キリストを十字架に架けたのは、2000年前のユダヤの宗教家たちやローマ総督ピラトや、当時の群集だけではないのです。私たち(私)も彼らと同罪なのです。即ち、イエスはアダムとエバ以来人類に入り込んだ「罪」の故に十字架に架かられたのです。彼の十字架により、人は初めて罪人であることを赦されたのです。これこそ“驚くべき破格の恵み”です。
第二に、十字架が与える意味は「愛」です。彼の十字架によって“神の愛”が罪人のもとに来たのです(ヨハネ3:16や15:13が示す“完全な神の愛”です)。
第三に、十字架が与える意味は「希望」、それも「復活の希望」です。
イエスが十字架を担いで歩まれた「ヴィア・ドロローサの道」は、文字通り「悲しみの道」「苦難の道」であると共に、「神の愛が完全に顕わされる道」であり、また「復活へとつながる勝利の道」であったのです。
|
| ****しばらく更新がストップしていました。ご了承ください**** |
2月 5日 藤崎 信師
エペソ3章14〜21節より「パウロの祈り、キリストの愛を知る」。
また、聖餐式と「2月誕生者のお祝い」もあります。
2月12日 ウォーレン志保子姉
今年は何十年ぶりかの寒い冬で、風邪等により体調を崩されている方が多いようです。どうか、くれぐれもお体を大切になさって下さい。お休みが多く礼拝出席計39名(うち子供9名)。
当日のウオーレン志保子姉妹の奨励要旨は、以下の通り。
■「世のただ中でのキリスト者」(ユダの手紙)■
今年に入ってからも立て続けに、偽りや嘘、不正が発覚するようなニュースが身の回りに起きている。それらの根底にあるものは同じで、自分(自分の会社)さえ得すれば・儲かれば、他の人がどうなろうと構わないという非倫理的な考えである。
イエスの弟ユダが遺したこの手紙には、キリスト者としてこの世のただ中でどう生きていくべきかが示されている。晩年を迎えたユダにもたらされた諸教会のニュース(神を恐れず、自分の欲望のまま,大言壮語し、この世の利益のみを追求する信徒たち)を聞いて、ユダは言う。
@この世にあってのキリスト者のアイデンティティーを自覚すること、A神の憐れみと平和と愛こそが、この世にあって唯一光り輝くものである、Bどんな世の力も必ず滅び、神の義が必ず勝利すること…。さらにその上で、ユダは、この世に生きる“キリスト者の使命”として「世の迷いの中にいる人々をいのちがけで助け、救いなさい」と勧めるのである。
2月19日 福沢満雄師 (ジャパン・カルバリー・クルセード)
2月26日 大竹堅固兄
3月 5日 藤崎 信師
3月12日 小林武夫兄
3月19日 吉枝隆邦師
3月26日 召天者記念礼拝
4月 2日 藤崎 信師 |
| 口1月29日の礼拝□ |
1月最後の礼拝。第29回目の証詞礼拝で、佐々木兄弟と岩井姉妹がそれぞれ主の恵みを語った。夏野さんの幼稚園からの友人・山中さんら出席46名(うち子供8名)。
■「主の恵みに対する感謝の総決算の時」(岩井姉妹)■
「今年の3月で満85歳になる母。若い頃は中々のやり手で、洋裁、料理も商いにするほど器用で、行動派の人でした。
しかし現在は、母の持って生まれた自力をもってしても打ち勝つことの出来ない“老い”というものがやって来ました。
黙示録8章1節に『子羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった』とありますが、まさに母にとって今がその時なのです。これまで神様から頂いた恵みの総決算・神様への感謝の総決算をするべき時に来ているのです。
毎日曜日の夜、母の家での家族揃っての愛餐会、志保子姉による毎月一度の家庭集会がその半時間となりますように…」
|
| 1月22日の礼拝 |
前日(21日)の土曜日、終日降り続いた雪のために来られない人も多かった。雄祐君は、前の日ケンさんたちと庭に作った“カマクラ”が嬉しくて仕方なかった。出席計37名(うち子供8名)。
当日の大竹堅固兄弟の奨励要旨は、以下の通り。
□「永遠のいのち」(ヨハネの福音書3章36節)□
「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は…」。バプテスマ(洗礼者)・ヨハネが発した素晴らしくも、また厳しい言葉である。事実、御子を信じるキリスト信仰は、日本人の正月の初詣でに象徴されるような信仰のファッション化、アクセサリー化とは別物である。キリスト信仰は自分のいのちそのもので、またそうあるべきものである。
キリストを救い主とし、キリストを第一とし、キリストなしに生きる甲斐なき者とされることである。イエス自身も12弟子に求めているように(マタイ10章37〜39節)、「いのちをかけてキリストを信じ、キリストに従え」という信仰である。
しかし、この“いのちがけの信仰”は、歯を食いしばって頑張るぞといったものでも、迫害も殉教も恐れないぞといったものでは決してない。ただキリストに全幅の信頼を置いて(いのちをかけて)従っていきさえすれば、人生の最大課題である死さえも、キリストが必ず解決して下さる。その時、死は何の力も持たなくなるばかりか、「永遠のいのち」への希望に変わるのである。“御子を信じる信仰”を心から感謝したい。
|
| 1月15日の礼拝 |
新年第三主日。昨年9月18日(日)に続いてUテモテより、宮村武夫先生が午前の礼拝、午後の「聖書の学び」を務められた。体調が良いのか、あれも話したい、これも話したいといった感じで、例の“宮村節”が横溢していて、こちらにもそれが伝染して心が燃えてきた。礼拝出席者計43名(うち子供8名)。
□「時が良くても悪くても」(Uテモテ4章1〜8節)□
パウロの「愛する弟子テモテへの遺言」と呼ばれるこの個所で、テモテに勧めるだけでなく、何よりもパウロ自身がみことばに聴従してきた生活・生涯を提示しながら、テモテに教えている。人から人への“全人格的バトンタッチ”で、自らが実行しないことは教えないし、他者に教えたことは自らが実践していく。いかにも“実行の人”パウロの真骨頂である。
そこには、文字通り、パウロの全人格・全生活・全生涯がかかっているので、単なる教えや知識の伝達というレベルではない。この生きた人格から人格への“全人格的な継承”なくして、本当の福音宣教は成り立たない。自身、伝道者として生き抜いたパウロであるからこそ、勧められるのである。
しかも、福音の宣教と受容により生まれ、成長する“恵みの人格関係”は、ある一定の人々、ここで言えばパウロとテモテの関係に留まる閉鎖的なものでなく、他へ波及していく“恵みの波紋”である。それぞれが神の御手・時の中でしなやかに生かされ、実を結ぶ生活・生涯こそが恵みである。
|
| 1月8日の礼拝 |
新年第2週。元旦礼拝に来られなかった大内さん、熊田姉、佐野兄、上岡さんらがあちこちで新年の挨拶を。教会のホームページを見て、浦安から初参加の高田さん、また教会学校に初めて来られた島尻さんのお母さんら大人35名に子供9名計44名。
「使徒の働き」5章のビデオを見たあと、小林武夫兄弟が5章全体を逐条解説した。長い5章の粗筋は、以下の通り。
口「迫害の中を前進する宜教」(使徒の働き5章1〜42節)□
アナニヤとその妻サッピラは持ち物を売り、その代金の一部を残して使徒たちの足元に置いた。この行為は当時、他の信徒たちもしていたことで、評価されることであったが、この夫婦はあたかも全額捧げたように振舞ったのだった。そこでペテロは、この行為は神を欺くものだと二人を糾弾した。
ペテロをはじめ使徒たちは、神から与えられたしるしと不思議を行なって、人々から尊敬を受けた。そのため、彼らを妬んだ祭司たちに迫害を受けるが、その圧力に屈することなく「福音」を伝えていった。「人に従うより、神に従うべき」(29節)と使徒たちは、さらにその信仰を明白にしていった。
イエスの名を使って伝道する彼らに、怒りを燃やした祭司たちは使徒たちを殺そうと計ったが、人々に尊敬を受けていたパリサイ派の律法学者ガマリエルの責任転嫁、真理に対する傍観主義の意見のお陰で釈放された。使徒たちは「御名のためにはずかしめられるに値する者」とされたことを喜び、益々、イエスがキリスト(救い主)であることを宣ぺ伝え続けた。
□山本兄弟から感謝の手紙□
一年ぶりに元旦礼拝に出席できたこと、久しぶりにわが家で親子三人枕を並べて寝たことなど感謝感謝の手紙でした。
|
| 1月1日の礼拝 |
10年ぶりの元旦主日礼拝。藤崎信・一枝先生夫妻は9時半には到着し、この日洗礼を受ける芹澤さんと最後の打ち合わせをした。元旦にもかかわらず48名(大人41名、子供7名)もの人が集った。お母さんの洗礼式ということで、息子さん、お嬢さんとご主人の沼田氏にお孫さんんも出席。また,一年ぶりに山本兄弟が太郎君の介添えで一歩一歩、自力で到着された。
お雑煮の昼食後、受洗者と「1月誕生者」の卓也兄、静枝姉(共に3日)、志保子姉(28日)が祝福された。
□「われら何をなし得ずとも」(エペソ3章1〜13節)□
新しい年を迎えて「インマヌエル!」「アーメン!」。われらキリスト者は神が共にいて下さるからお目出度いのである。
使徒パウロが、ここで語ろうとしているのは「キリストの奥義」である。特に旧約の時代、神の民イスラエルと異邦人とは全く区別されていたが、今、パウロは“異邦人の救い”を大胆に語る。その秘められた計画は、人類には知らされていなかったが、使徒と預言者たちに今や啓示されたというのである。キリスト・イエスによって実現される「永遠の救い」に私たち異邦人も入れてもらえる。何をなし得ずとも、キリスト・イエスから除外されている者は一人としていないのだ。
□来週の礼拝および午後の学びは宮村武夫牧師□
昨年9月18日以来。礼拝はUテモテ4章1〜8節より「時が良くても悪くても」。午後の学びは同じTテモテ4章9〜18節より「上着と書物」と題して。
|